モナ・リザか、それとも「魚籃を提げる観音」(1927年頃)?
芸術は時に、社会においてバランスを取ったり補償したりする役割を果たし、文化の中で見過ごされたり時代遅れになった側面に声を当てることがあります。例えば、プレ・ラファエル派の新封建主義的な精神や印象派の田園主義は、都市化と物質主義の進展という背景の中で生まれました。これにより、社会は安定し、急速な変化の時代に人々を安心させることができます。
これもまた、日本における日本画運動の台頭、そしてそれが守り続けた多くの芸術家や伝統様式に対する、最も説得力のある説明の一つと言えるでしょう。その中で最も重要な一人として、下村観山が挙げられます。
日本史上最も激動の変革期を生き抜いたにもかかわらず、下村は極めて清浄で永遠性を感じさせる作品を生み出しました。それは、横浜美術館で開催された彼の大規模回顧展を訪れた人々が実感できることです。この展覧会は、1873年の彼の生誕140周年を記念して企画され、幅広い視点から彼のキャリアを振り返っています。
能楽師の家系に生まれ、下村は幼少期から有名な狩野派の絵画技法を学び、1889年には東京美術学校(現在の東京芸術大学)の第1期生として入学しました。そこで奥倉天心や横山大観といった巨匠たちの影響を受けました。彼らの芸術は最近、同じ美術館で別の大規模回顧展で取り上げられていました。
下村はしばしば狩野派最後の偉大な画家と見なされますが、数世紀にわたり無数の画家を抱えた狩野派は、特定の様式というよりは一つの姿勢でした。その特徴は、努力の痕跡を隠した軽やかな技と洗練、そしてある種の気取ったクールさです。
狩野派の芸術は時に、過度に貴族的で優美すぎる印象を与えます。下村の傑作の一つである「小倉山」(1909年)は、六曲一双の屏風で、貴人が木陰に座り、自然を観想しているはずの場面を描いていますが、自然そのものがきちんと整えられすぎています。森の地面はまるで掃除機をかけられたかのようです。これにより、主題の表現というより、詩の反響や特定の葉の種類を描く技術のデモンストレーションとなってしまっています。
小倉山、1909年、横浜美術館蔵
狩野派のもう一つの特徴は、古代中国の様式や主題への絶え間ない言及で、いわば「遠い異国性」への憧憬です。これが一種の不自然さのオーラを生み出し、西洋の観客には気づかれにくいものの、日本人の観客にとっては最高の趣味と見なされます。
下村の作品では、この「遠い異国性」への興味が、西方美術の特定の要素にまで及んでいます。若い頃、下村は海外留学を経験しました。展覧会には、ラファエロの「椅子の聖母」やジョン・エヴァレット・ミレイの「騎士道の放浪者」などの模写が含まれています。
残念ながら、彼はこれらの「異国的」な西洋要素を、狩野派中心の作風に取り入れることはできませんでした。しかし興味深いことに、仏教を主題とした「魚籃を提げる観音」(1927年頃)の中央の人物は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」に驚くほど似ています。
C.B.リデル
2014年3月14日
ジャパン・タイムズ



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